この記事では、医療系企業の戦略担当者や医療機関の経営者に向けて、医療DXを実現するSaaSの中でも特に「医療者と患者を繋ぐコミュニケーションツール」について解説する。
ICツールを提供するContrea社・患者説明ツールを提供するOPERe社への取材で得られた現場の声をもとに、医療DX全体から見たコミュニケーションツール領域の現状を紐解く。また、この市場の将来の展望に関して、他市場への事業拡張という観点から筆者の見解を展開する。
医療DX全体から見たコミュニケーションツール領域の現状
従来、医療機関向けのSaaSは国内の大手ITベンダーを中心にした電子カルテ市場によって構成されていた。しかし、近年では電子カルテ以外の領域での参入が増えつつある。
コミュニケーションツール領域もその例に数えられ、数年前までプレイヤーがほぼいなかったものの、ここ1-2年ほど増加傾向にある。その一つの理由として、「医療DXの本質的な価値にコミットしているサービスである」ということが考えられる。医療DXの定義をもとに、詳しく見ていこう。
DXの定義・目的
DXは「顧客体験の改革による新たな価値の創出」を目指して行われるべきものとされている。
そもそもDX(Digital Transformation)の定義とは何か。日本では、経済産業省が平成30年9月に “DXレポート 〜ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~” にて引用した、IDC Japan社による次の定義が広まっている。
「企業が外部エコシステム(顧客、市場)の破壊的な変化に対応しつつ、内部エコシステム(組織、文化、従業員)の変革を牽引しながら、第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)を利用して、新しい製品やサービス、新しいビジネス・モデルを通して、ネットとリアルの両面での顧客エクスペリエンスの変革を図ることで価値を創出し、競争上の優位性を確立すること」
要約すれば、DXとは「自社の生み出す価値を高めるために、デジタル技術を利用して、製品・サービス・事業モデルを改革し、顧客体験の変革を図ること」であり、あくまでも顧客体験の向上による価値創出が目的であると言える。
医療DXで目指す「顧客体験の改革」とは何か
では、医療DXにおける「顧客体験」とは何だろうか。
これは「患者が体験する治療・医療サービス」と言って良いだろう。
医療者にとっても患者にとっても最大の望みは「(患者)満足度の高い、良質な治療・医療サービスの実現/享受」であり、これこそが本質的な価値である。
医療DXというと医療現場の業務効率化の側面から語られることも少なくないが、その先に目指されるべきは患者の医療体験向上である。
コミュニケーションツールは直接的に患者の医療体験向上を実現できる
この医療DXの本質的価値「患者の医療体験向上」を直接的に実現できるサービスとして、医療者と患者を繋ぐコミュニケーションツールが挙げられる。
例として、株式会社OPEReの患者説明ツール「ポケさぽ」、株式会社Contreaのインフォームド・コンセント支援プラットフォーム「MediOS(メディオス)」を取り上げる。
両社とも、コンテンツとコミュニケーションツールを併せて提供する形態である。
医療機関から患者に伝えることになる内容のうち、どの患者にも共通する部分をデジタル化することで、医療者の業務効率化や患者の事前理解を促進する。加えて、コミュニケーションプラットフォームを併せて提供することで、医療者と患者のコミュニケーションを支援する。
これらが相乗効果をもたらし、患者の医療体験向上という本質的な価値を実現している。
各サービスの医療機関に対する提供価値
患者向け説明ツール | ICツール |
---|---|
医療事務・医療者の業務効率化(共通の案内に割く時間の削減、問い合わせ電話の減少など) | 医師が毎回同じ治療説明に時間を取られなくなる(医師の働き方改革) |
医療機関ごとにカスタマイズされた動画・PDFを作成するため、各病院の運用に合った最適な説明を患者に提供できる | 高名な医師が監修した網羅的な説明動画の中から、必要な動画を選択し組み合わせることで、患者に応じた動画セットを提供できる |
メッセージ機能で、空き時間を用いたスムーズなコミュニケーションが可能である | 患者から事前に質問や理解度についての回答を得ることで、効率的に個別の説明に注力できる |
患者からの声が届き、モチベーションにつながるほか、データとして蓄積できる | 患者の視聴データを出力し、電子カルテに残すことができる |
信頼関係構築と理解度向上により、医療サービスへの患者満足度が上がる | 信頼関係構築と理解度向上により、患者の治療満足度が上がる |
各サービスの患者に対する提供価値
患者向け説明ツール | ICツール |
---|---|
いつでも手軽に調べることができ、入院や検査の事前理解が進む | いつでも何度でも手軽に動画説明を視聴でき、治療内容に対する事前理解が進む |
メッセージ機能により、意見や質問を伝えるハードルが下がる | 医師の余裕ができ、より個人的な不安などを相談できるようになる |
上記2点から、満足度の高い医療サービスを享受できる | 上記2点から、満足度の高い医療サービスを享受できる |
価値を生み出す鍵は、質の高いコンテンツにより「半自動化」すること
前述の通り、コミュニケーションツールには医療DXの本質的価値「患者の医療体験向上」を直接的に実現できる強みがある。
しかし、すべてのツールが「患者の医療体験向上」を実現できるとは限らない。
「ポケさぽ」「MediOS」から、本当の意味で「(患者)満足度の高い、良質な治療・医療サービスの実現/享受」という価値を創り出すための鍵を学ぶ。
質の高いコンテンツを制作しなければならない
コンテンツとコミュニケーションツールを併せて提供する形態では、わかりやすい良質なコンテンツを制作しなければならない。
コンテンツの質が中途半端であれば、患者にとって事前理解は深まらない。医療機関側にとっても、問い合わせや再説明の手間などが増えてしまい、逆効果となる。
したがって、コンテンツのわかりやすさが価値創出の大前提であり、これを担保するために多大な労力がかかる。
例えばOPERe社では、各病院にカスタマイズされた資料を提供するために、医療機関ごとに入念なヒアリングを実施している。Contrea社では、高名な医師による監修のもと、疾患説明・手術説明・副作用説明などの必要事項を網羅している動画を0から制作している。
手間と時間を惜しむことなくコンテンツの質を徹底的に追求する姿勢が、本質的な価値創出につながっていると言えるだろう。
全自動化ではなく「半自動化」に留めなければならない
DXによる業務効率化に着目しすぎると、デジタル化できることは全てデジタル化しようという心構えになってしまう。しかし、目的はあくまでも「(患者)満足度の高い、良質な治療・医療サービスの実現/享受」である。
患者の高い満足度を実現するためには、医療者と患者の間の関係をより良くすることが求められる。この手段として、「ほしい情報が過不足なくやりとりされる関係」や「信頼関係」を目指すことは有用だ。
情報のやり取りに関しては、全てを自動化するよりも、一部を自動化し一部を現場の人の手で行う方が効率的である。患者が必要とする情報、あるいは医師が患者に提供しないといけない情報は、患者ごとに共通する部分も異なる部分もある。前者についてはデジタル技術を用いて自動で提供すればよいが、後者については医療者と患者の間で直接やりとりされる方が効率的と考えられる。
信頼関係の構築では、医師と患者間の有機的なやりとりの質と量を高めることが重要だ。チャットボットがさほど普及していないことにも表れているが、無機質な自動コミュニケーションは、患者の体に関する話題を扱うにしてはドライすぎる印象がある。「私を担当してくれるあの人(医療者)が、自分の手で伝えたいことを入力してくれている」といった人間味を感じてもらうことは、患者の信頼に直結すると言える。
要するに、DXサービスは医療者と患者の間の関係をより良くするためのものであり、デジタルに移行すること自体が目的になってはいけない。
コミュニケーションツールに注目すべき理由は、事業拡張の可能性にある
今まではコミュニケーションツール領域の現状にフォーカスし、患者の医療体験向上という医療DXの本質的な価値に直結しているという話を述べてきた。
ここからは、ICツールや患者説明ツールが生み出しうる将来的な価値について考えたい。他市場への事業拡張という観点から、コミュニケーションツール市場の展望に関する筆者の見解を述べる。
医療データベース市場への事業拡張
OPERe社「ポケさぽ」, Contrea社「MediOS」の提供価値にも記載した通り、コミュニケーションツールは患者のデータを蓄積できる。この特徴から、医療データベース市場への事業拡張について考えたい。
現状、医療データ市場はIQVIA, JMDC, DeNAなど大手数社が強い力を有している状態だ。データベースの種類は、レセプトデータ、医療機関データ、電子カルテデータなどの数種類に限られ、対象患者や収集内容の量・質といった面で一定の制約がある。
このような制約をコミュニケーションツールから収集したデータで解消できる可能性について、例えば次のようなものが考えられる。
- 時間や場所:スマートフォンでのやりとりが主体であり、医療機関にいないタイミングへのアプローチができる可能性がある。
- 対象患者の数:「医療機関・医師と患者」という自然な関係からサービスを導入できるため、最終的に多くのユーザーを獲得できる可能性がある。
- データの質:病院での診療・検査・入院等を起点とするサービスであり、ペイシェントジャーニーを追って介入領域を増やす(退院後のフォローなど)ことで、治療開始時から連続したリアルワールドデータを得られる可能性がある。自由記入が可能であり、患者から収集できる内容の自由度も高い。
このような特徴が活かされれば、コミュニケーションツールを扱うプレイヤーが新たな医療データベース企業として需要を獲得する可能性がある。
治験市場への事業拡張
さらに、患者向け説明ツールやICツールといったコミュニケーション支援ツールは、一般的な診療・入院等の場にとどまらず、治験領域に事業拡張できる可能性もある。
主な理由は、バーチャル臨床試験やDCT(分散化臨床試験)が普及しつつあることだ。これらはウェアラブルデバイス等のデジタル機器を活用した「医療機関への来院に依存しない臨床試験」の総称で、長年の課題であった患者の拘束時間や通院の負担を解消できるとして注目を集めている。
バーチャル治験では、治験開始時の同意取得や治験途中の症状データ入力などをデジタル下で行う eConsent(電子同意取得)や ePRO(電子的な患者報告アウトカム)が汎用される。これらを扱う企業にはMedidata社、Veeva社、MICIN社などがあるが、まだ優勢と言える企業は存在しない。
ここで、コミュニケーションツールを扱っている企業の参入が考えられる。eConsentに対しては、ICツールや説明ツールのように、パッケージ化した内容を提供する仕組みが役に立つと考えられる。ePROに対しても、時間や場所を問わず医療者と患者のコミュニケーションが可能なプラットフォームを備えていることは、大きな強みとなる可能性が高い。
加えて、治験・臨床試験では、通院日や食事内容など患者に指示しないといけない制限・規則が多い。患者にも医療者にも通常の外来診療以上にコミュニケーションの負担が強いられるという点でも、コミュニケーション支援ツールと治験領域の親和性の高さがうかがえる。
このような点から、ICツールや患者向け説明ツールは治験に関して医療機関・医師・患者にアプローチできる可能性を有しており、今後も要注目である。